えんじゅ

日常への魔術師


道化師・・・ピエロ。クラウン。サーカスなどで、こっけいなしぐさで人を笑わせる人。または、それを職業とする人。


テント内の照明が上がり、道化師が文字通りおどけた格好と仕草で登場した。
サーカスが始まった。

猛獣ショーや空中ブランコなど、リングで大掛かりな舞台の設営が行われる時には、決まって道化師が登場した。会場設営の邪魔にならないリング端の小さなスペースが、道化師の舞台だ。
空手着を羽織って出てきては、もともと割れている板を割ってみたり、猛獣の調教用の鞭を持ち出してきては、それを振り回して自分のズボンを破いてしまったり・・・。
観客はそのあまりにバカバカしいありきたりの芸に笑ったり、合いの手を入れたりしながら、後方で裏方によって設営されつつある舞台において、これから行われるであろう曲芸の数々を見るための心の準備を整えていく。

そのとき、私は(あっ、そうか!)と思った。
道化師は、この世の技とは思えない曲芸の連続で緊張した私たちの心を弛緩させるために、そして、これからリング上で披露されるであろう曲芸に対する私たちの驚きを倍増させるために、わざと誰でもできそうな、滑稽な芸を見せてくれているのではないだろうか。だからこそ道化師の芸はバカバカしくて、ありきたりのものでなければならないのだ。たぶんそれを、日常性と呼んでもいい。
道化師によってリセット信号を受けた私たちは、直前の秀芸によって破損した想像の殻の修復作業を行い、日常の空気感に引き戻される。そしてその後私たちは、大舞台で披露される奇跡のような技を目の当たりにして、非日常性に慣れることなく何度でも新鮮な驚きに包まれ、想像の殻を破られる快感を味わうことになるのだ。
道化師とは、そのために私たちを瞬間的に日常へと舞い戻す魔法をかける、魔術師であるらしい・・・。

目の前で披露されている道化師の輪投げを見ながら、そんなことをぼんやりと考えていたら、道化師が近づいてきて、私の腕をつかんだ。

「ちょっと、いいですか〜〜?」

スポットライトの当たっている場所に引っ張り出されることになってしまった。私はこの手の観客参加型のアトラクションの標的になることが多い。よほど子どもしかしなさそうな、嬉しそうな顔をして見ているからなのだろう。
舞台に呼ばれたのは私を含めて4人。みんな大人の男性だった。

「Huuuu〜!」

高い声を出しながら道化師がおどけたポーズをとった。それに続いて、即席道化師の私たちも彼に習い、同じように声を出しながら、真似をしてポーズをとる。バカバカしいほど、ありきたりの笑いが観客から起こるためにと、声の低い、いい大人のオッサンたちが、精一杯声を裏返して高い声で「Huuuu〜!」と叫ぶ。
ポーズをとりながらリングの中央まで連れて行かれた私たちは、道化師に先導されるままに輪になり、言われたとおりにしていると、いつしか人間空気椅子のような芸を披露することになっていた。拙芸を披露すると、水先案内人である道化師から4人にペロペロキャンディーのご褒美が贈られた。私に贈られたキャンディーは、懐かしい淡い緑色をしていた。


最後のクライマックスである空中ブランコが盛大に披露され、サーカスは閉幕した。

観客が照明の消えた会場を後にしてからも、私はシートに腰を深くうずめながら、リングに落ちたゴミを拾う道化師の姿を見つめていた。その視線に気づいたのだろうか、道化師はリングサイドの私の席の前まで来てくれた。そして彼は、ちょっと見てみて、といった表情で、拾ったゴミを入れるためのバケツを回転させながら上に放り投げた。そして落ちてきたバケツを頭でスポッとキャッチ!しようとして、バケツの角に頭をぶつけた。もう一度チャレンジ。またバケツを放り投げた。今度はうまく頭でバケツをキャッチできた。
一度は決まって失敗しなくてはいけないのだ。彼は道化師で、だから、バカバカしくて、ありきたりの笑いを生む芸でなくてはいけないのだ。2人だけの観客の拍手が会場に鳴り響いた。観客の大半を占めていた子どもたちが会場を去ってなお、彼は私たち大人のために、道化師であり続けてくれた。
そして彼は言った。

「おいしかった??」

どうやら、私が拙芸を披露した際にご褒美でもらった、ペロペロキャンディーのことを言っているらしい。まだ食べていなかった私はポケットからキャンディーを取り出し、道化師に見せた。すると彼は、まだ食べていないことに大いに落胆したように大げさに肩を落とし、また私たちを笑わせてくれた。彼の道化に応えるためには、私もお道化てペロペロキャンディーを口にくわえなければいけなかった。もちろん、キャンディーの包みがついたままで口にくわえて・・・。

「本当にありがとうね〜〜!」

彼はそう私たちに言い残して、リングの奥に姿を消した。


道化師が去った。

だから、私たちは認めたくなくても認めなくてはならなかった。
日常へと誘ってくれる魔術師の必要ない、本当の日常へ帰る時間が来たことを。

サーカスは終わったのだ、ということを。


(2008年3月)