えんじゅ

太陽の塔


大阪の北摂千里丘陵に,太陽の塔は30年間以上もずっと立ち続けている.
全長70mの巨大な塔だ.1970年,この地で開催された世界万国博覧会に際して芸術家故岡本太郎氏によって制作され,それ以来,かつての万博のシンボルとして,現在の千里のシンボルとして,たくさんの人に親しまれている.

太陽の塔は3つの太陽を持つ.背面に描かれた黒い「過去の太陽」は,神秘的で無垢な過去への崇拝を表しているように見える.正面に描かれた「現在の太陽」は,悩ましげな表情を呈していて,現在の苦悩する人間の姿を暗示しているかのようだ.そして頂きにそびえる黄金の「未来の太陽」.仮面のような無表情な姿が,逆に優しさを湛えていて神々しい印象を与えている.

僕のように大阪の千里で生まれ育った人たちにとって,「太陽の塔」という言葉には特別な響きがある.いや,逆に何ひとつ特別な響きをもたないからこそ,特別だという方が正確だ.その後の人生を鮮やかに彩るその他の言葉と出会うまでに,「太陽の塔」は,すでに自然と身体に馴染んでしまっている言葉だからだ.
小学生のときの遠足も「太陽の塔」,中学時代のマラソン大会も「太陽の塔」,高校時代のデートの待ち合わせも「太陽の塔」だった.特に意識したことはなかったが,何かのイベントごとにときめいた自分の心の傍に,いつも「太陽の塔」が立っていた.初対面時の高揚感を時間と共に失っていくキーホルダーに似て,初めてこの塔を目にしたときの戦慄の記憶は,もはや鮮明でない.
世界に誇る一人の芸術家の傑作よりも,隣にいた家族や友達,恋人の方が何倍も重要だった.岡本太郎さんによって制作されたものだと知る前に,すでに何十回と太陽の塔の前を通り過ぎたはずである.きっと渋谷に住む方にとっての「ハチ公像」,知床の人々にとっての「四島への道 叫び像」のようなものだと思う.思想的なバックボーンを知るよりもずっと先に,ただそこに存在するだけの塔だった.

対照的に,1970年,万博を訪れた大人の人たちは初めて太陽の塔を見上げたとき,その異形な思想に対して驚きをもって,あるいは,反芻をもって魅了されたことだろう.

幼少時に比べるとめっきり頻度が減ってしまったが,僕は実家に帰省したとき今でも時々太陽の塔の前に立って見上げてみる.小さいとき僕らの目に映る太陽の塔は,自然にぽつねんとそこにただ存在していただけのモノであり,ともすれば見上げずに通り過ぎてしまうくらい,周りの自然と見事に調和していたように感じられた.それが今見上げてみると,とても奇妙なことに,日本庭園のど真ん中に立つこの物体は,異常なほどの違和感を放っていて,なんだか孤独にそこに残されてしまった悲しい物体に見えるから,「時」というのは不思議なものだ.30年前よりもはるかに進歩した科学技術にとり残されて,また季節と共に風合を変える周囲の自然にとり残されて,たまらなく孤独な様相だ.万博終了時に撤去しようとしたのもごく当然だったような気がしてならない.結局市民の撤去反対運動により,永久に保存されることが決まっている.また,かつてその存在理由を知らず,誰にでもつくることができるような気がしていたこの塔は,その制作の動機となった思想を知った今となると,自分には絶対に創れないものであることも理解できる.

万博のテーマ館のプロデューサーとして擁立された当時,岡本太郎さんは断り続けたそうだ.近代主義の風潮の最高潮にあったヨーロッパで岡本さんが学んだのは逆説的に,反近代主義思想だったからだ.
そんな岡本さんが,皮肉にも近代主義の粋である万博のプロデューサーを引き受けることを決心したのは,次のような考えによる.
「外部から新しい芸術の為の運動や活動をおこしても体制が変わらないのなら、いっそ内部から崩していこう。万国博が先進主義諸国の産業や国力を誇示する見本市なら、徹底的にそれと対立するような無目的で全人間的なものを打ち出すより他にない。万博は世界の祭りであり、祭りは古代より、無償無目的で、人間の存在を確かめるためのものなのだ。その祭りにふさわしい最も人間的なものこそ、万国博のテーマ館として意義がある。」
(月刊・お好み書き2000年6月号 大杉浩司著
『特別寄稿 太陽の塔について考えること』より孫引)

科学至上の近代主義に浮遊した風潮の中で,岡本太郎さんは地に根を張り,人間存在の源を見つめ直すために,太陽の塔を制作したのだ.

岡本太郎美術館学芸員の大杉浩司さんの言葉が,なるほど素直に心にしみる.
しかし、こうした社会の中でも、この塔を無条件に受け入れ、心のどこかで信頼し、励まされながら大人になっていった人たちは大勢いる。目にフィルターを持たない子供や一般の人たちこそ、「太陽の塔」を理解した人であり、美術評論家やジャーナリズムの論評に翻弄されることなく、全人間的な視点でものを見ることこそ、これから21世紀の我々に求められる態度だと思う。
(同書より引用)

近代主義思想を象徴した万博において,岡本太郎さんの反近代主義,全人間的思想を体現した太陽の塔は,かつての僕らにとってはただ置物のようにそこにあるだけのモノであって,ときに励まし,慰めてくれたことに気がつくこともなければ,なぜそこに存在するかという問いを投げかける暇もなかった.アンチ・テーゼを理解した上で太陽の塔と対峙するには,出会うのがあまりにも早すぎた.

それは幸せなことだったのだ.千里の子供たちにとって幸せなことは,ジャーナリズムという言葉を知る前に,太陽の塔を何度もその敏感な肌に「感じ」,自然に「理解する」チャンスが与えられたことだったからだ.そう,「無償無目的な」「心のどこかで」.それは,太陽の塔が「全人間的」な存在であったからに他ならない.「愛」も「友情」も,この無償の,名辞以前の「生」の場で開かれている.太陽の塔は,全ての人間がそれを確認するための十字架なのだ.
そして,目にフィルターを持ってしまい,近代主義思想の中の反近代主義思想としてのアンビバレントな違和感を感じ取ってしまう今となっては,子供の頃のように「太陽の塔を理解する」ことはできないのかもしれない.その「目的」を持って眺める目は,もはや「生」の開かれる場所にはないからだ.

これからも太陽の塔は地元の子供たちにとって,なぜだか分からないがそこにぽつねんと立っているだけの,ただの像であり続けるのだろうと思う.そしてその存在の意義を知り,目にフィルターをもってしまってから再度太陽の塔を見上げたとき,かつて幼少時何度もこの塔に励まされ,慰められた暖かい母胎であったことに気がつくのだろう.そのときくらいは,過ぎ去った時への情感を持ってこの塔と対話し,ゆっくりと無償であった過去を振り返ればいいと思う.

太陽の塔は変わらない.変わるのは,それを見上げる人間の目だけだ.変わるからこそ,人は無償無目的な「生」が開かれる普遍的な場所に圧倒され,魅了され,憧れる.
それはとても人間くさい,信仰の気持ちに似ている.

(2005年12月)