えんじゅ

チベットへの旅

チベット


 明日からネパールに行ってきます。
 中国領のチベット本土、亡命政府のあるインドのダラムサラ、そしてヒマラヤを越えた難民キャンプのあるネパール。ブータンへの個人旅行が難しいことを考えると、ネパールがチベットへの旅の最後の土地になるかもしれない。

 チベットを旅して以来、いつもチベットのことが頭から離れなかった。チベットは僕に何よりも大切なことを教えてくれた。

 広島や長崎や沖縄、ベトナムやフィリピン、過去に大きな戦渦をくぐった土地を訪れて手を合わせてきたけれど、どうしても同時代性という要素が欠落していた。戦争が残した傷痕を見て、頭の中の知識として戦争の無惨さを理解することはできても、身震いするような緊張を恐怖を、自分の心の体験として感じることはできなかった。
 チベットへの旅は、僕らが生きている今まさに、戦争で血が流れているのだという恐ろしさを感じさせてくれた。肉感を伴う生身の戦争を心の襞に刻み付けてくれた。目の前にいる人が殺されたら嫌だ、という人間として一番シンプルな感情を呼び起こしてくれた。
 ウルムチで罪なき人びとが殺される映像を見たとき、カシミールで銃弾に倒れる人びとの映像を見たとき、やり場のない怒りと、やる瀬ない悲しみに涙がとまらなかった。今までの僕だったら、そう感じることさえ、できなかったように思う。

 人間には戦争を始めてしまう愚かさもあるけれど、人間には戦争を終わらせる優しさもあること。非暴力で平和を訴えるチベット人の心のよすがに、少しでも触れることができるように、一歩一歩かみしめながら、彼らが拓こうとしている平和への巡礼路を歩いてこようと思う。
 行ってきます。
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