えんじゅ

運動靴と赤い金魚

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幼い頃,新しい靴を買ってもらうと,なんだか目の前に新しい世界が拓けてくる気がした.毎日靴を履いて学校に行く.学校は子どもにとって社会の全てであるから,靴とは社会と家をつなぐ接線のようなものだった.


イラン映画『運動靴と赤い金魚』は,一足の靴が生み出す兄妹の物語である.

貧しさとは不便ではあるが,必ずしも不幸ではない.少なくとも,そうであって欲しい.そんな希望を感じさせてくれる物語だった.

ボロボロになった妹の靴の修理しに行った少年アリは,帰り道に買い物をしていて不意に妹ザーラの靴をなくしてしまう.
アリが暮らしているのは,家賃さえ満足に払えないような貧しい家庭である.怒られるのが怖くて靴をなくしたことを両親に言えない.
そこで,アリとザーラはある取り決めをする.午前中に授業があるザーラがまず,アリの靴を履いて学校に行き,授業が終わると急いで帰ってくる.帰り道で待つアリと靴を交換し,今度は午後に授業があるアリが靴を履いて学校に走って行く.

ある日,ザーラは学校で自分の靴を履いている女の子を発見する.アリとふたりでその女の子の後をつけて行き,女の子の家を発見する.「靴を返して」と言い出そうとしたとき,女の子の父親が表に現れる.だが何か様子が変だ.その父親は盲目だったのだ.結局ふたりは靴のことを言い出せずに家に帰る...

どうにかして妹に新しい靴を買ってあげたい.
アリの思いがひしひしと僕らの胸に迫ってくる.
そんな時,アリは学校対抗のマラソン大会の第3位の景品が,新しい運動靴であることを知る.アリは妹の靴を手に入れるために,マラソン大会に出場することにした.果たしてアリは思ったとおりに,3位に入ることができるのだろうか.

兄妹の思いを乗せて,マラソン大会の笛が鳴る――.



原題は『BACHEHA-YE ASEMAN/CHILDREN OF HEAVEN』である.『運動靴と赤い金魚』という邦題は,ずいぶん思い切った邦題だなと思う.
物語は一足の「運動靴」を中心に展開する.一方,「赤い金魚」はラストシーンに象徴的に演出されるが,「運動靴」ほど物語の核心的な役割を果たしているわけではない.その点,この邦題には少しコマーシャル的な表現の臭いを感じないわけではない.
しかし,と思う.「運動靴」が子どもたちにとっての社会への接線として,「赤い金魚」がイランの家庭を象徴するものとして表現されているならば,貧しくはあっても「社会」と「家庭」の狭間につつましやかに生きる兄妹を描いたこの素敵な映画に,とても相応しい邦題であるようにも思えてくるのだ.
 
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