えんじゅ

足元の戦争 足元の平和

戦没者慰霊碑

 僕が住んでいる藤枝市滝沢に、太平洋戦争で亡くなった方々の慰霊碑が建っている。その慰霊碑には、この小さな農村から戦争に駆り出され戦死した58名の氏名、戦没地と享年が刻まれている。フィリピン、サイパン島、マリアナ島、ニューギニア、レイテ島。故郷から遠く離れて、彼らは国のために銃を持って戦い、命を落とした。そのほとんどが、20代の若者だった。
 戦没者の霊を敬って「英霊」と呼ぶが、その死は美しいものではないと思う。賛美されるものではないと思う。義父の言葉を借りるなら、彼らは戦争の「犠牲者」に他ならない。だから僕は、この慰霊碑の前に立ち手を合わせても、畏敬の念は湧いてこない。ただただ、犠牲者に対しての、心痛の念が胸に溢れる。
 70年が過ぎ、生きていれば90代になっている戦没者たち。慰霊碑に刻まれている氏名の中には、昨年99歳で大往生した義祖母が親しんだ名前もきっとあったのだろう。いつもはにこやかだった義祖母も、戦争の話になると、「戦争だけは絶対に駄目だ」と途端に厳しい顔つきになったという。
 戦争を知らない世代の僕にも、身近なことから戦争を想像するとき、70年という月日はとても短く感じられる。たった70年前に、日本は侵略戦争を繰り返し、外国で数多の命を奪い、そして自国の数多の命を失ったのだ、と。まだあの時から、たったの70年しか経っていないのだ、と。

 慰霊碑に手を合わせた後、大豆畑に戻って雑草を取り続けた。澄みきった8月の青空の下、蝉がのびやかに鳴き、とんぼが悠々と舞っていた。きっと70年前にも、村の人たちは同じように大豆畑の雑草を取り、林には同じように蝉が鳴き、空にはとんぼが舞っていただろう。しかしそのとき、働き盛りの若者を戦争で失った農村に残された子供と女性と老人は、壮絶なほどに困窮を極めたのだろう。
 今、土の上に立ち、好きな農作業に没頭できること、何の不安もなく子供を育てられることの幸せを噛みしめる。戦争も平和も、この足元にある。
 
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