えんじゅ

同じ皿の飯を食う

モシとドゥーディ

 モシの友達はドゥーディという名前で、モシと同じく学校教員になるために教育実習をしている女の子だった。ダラジャーニからダルダルで1時間半くらい走ったところ、島の北部にあるムクワジュニという町で、ドゥーディは家族と一緒に暮らしていた。
 彼女たちは教員養成校(日本でいう教職課程)で同じクラスだったときに仲良くなったらしい。ふたりでいると、いつも楽しそうに世間話に花を咲かせていた。
 ダルダルでの道中、モシは真っ黒なブイブイ(チャードル)を身にまとっていたのだけど、ドゥーディの家に着くとわざわざ持参したオレンジ色のヒジャブに着替えた。イスラム教徒の女性にとって、ブイブイはよそ行き服で、ヒジャブは普段着なのだ。
 
 ドゥーディの家で彼女のヒジャブをいくつか見せてもらった。どれも南国らしい鮮やかな色や柄のものだった。
 イスラム教徒のヒジャブにも、まさしく「お国柄」というのがあるのだなぁ、と思った。
 アジアや中東のイスラム教徒のヒジャブは、黒と白の他には淡い水色やピンクといった中間色で、無地のものが多い。生地もまた、絹のようにやわらかな素材が多い気がする。こんなふうに大きな柄が入ったヒジャブはあまり見たことがない。
 モシのオレンジ色のヒジャブには、金色の細いストライプが入っていて、ドゥーディの黄色のヒジャブには、幾何学的な大きな柄が入っていた。素材もザンビアで見かけるチテンゲやタンザニアのカンガなどの、コシのある綿の素材とはまた違う。
 このヒジャブの生地は、サリーの生地に近いものだと思う。インドの民族衣装サリーの生地は、中間色というよりは原色に近い鮮やかな色合いで、化繊が入っている軽やかな薄い生地だ。そのサリーのような生地をヒジャブとして仕立てているようだった。この生地もインドから入ってきたものなのかもしれない。
 涼しげで鮮やかな生地のヒジャブは、南の島国ザンジバルの暑い気候にぴったり合っていて、赤道直下の太陽と島の緑が織り成すコントラストの強い風景の中で、美しく映えていた。

ランチ

 ドゥーディの家に着くとすぐに、昼食を出してくれた。インパサと呼ばれるゴザを敷き、その上に皿を並べ、皿を囲んで車座になる。
 インパサに置かれたのは、魚の出汁でトマトとジャガイモを煮たスープと、ココナッツミルクで炊いたご飯だった。このスープをご飯にぶっかけて食べる。日本のドンブリに似たような感じでなんとも食欲をそそる。僕はこういう「ぶっかけ飯」が好きだ。

同じ皿の飯を食う

 ところが驚いたのは、その食べ方だった。てっきりこれが1人分だと思っていたのだけど、1人分しか出てこないまま、食前の祈りが始まった。つまり、この皿のご飯をみんなでつまんで食べるのだ。取り皿などもない。手でご飯をこねてそれぞれ口に運ぶ。そしてまたその手をご飯の皿に伸ばす。人によってはかなり躊躇する食べ方だろう。
 実は、ドゥーディの家に来る途中で、モシのおばさんのところに立ち寄ったときにも驚いた。
 そのときおばさんは早い昼ご飯を食べていた。メニューはやはりココナッツご飯に、煮込んだ豆をぶっかけたものだった。
 僕が家に入るなり、おばさんは「ようこそ。これを食べなさい」と自分が食べていた皿を僕に手渡した。彼女はスプーンを使ってご飯を食べていたのだけど、スプーンもそのまま皿に乗ったままだった。つまり客人である僕に「食べさし」を渡したのだ。
 客人にはすぐに食べ物を出す、というのがザンジバルのおもてなしらしい。だけどこれには面食らってしまった。もちろん、おばさんのおもてなしを無駄にしないように、おばさんが使っていたスプーンを使って、おばさんの皿に残った食べさしご飯を全部たいらげたけれど。
 日本には「同じ釜の飯を食う」という言い方があるけれど、ザンジバルでは同じ「釜」どころか、「同じ皿の飯を食う」のだ。

胡座

 もう1つおもしろかったのは、彼女たちが胡座(あぐら)をかいて座ることだった。
 もし僕が東アジア、南アジア、中東と渡って旅をしてきた後にザンジバルを訪れたなら、その座り方に何の違和感も感じなかっただろう。だけど僕はアフリカ大陸の黒人文化の中で暮らして、反対の方角、大陸側からザンジバルに入った。だから僕の目には、人が床に座って胡座をかく姿はとても新鮮に映った。
 ザンビアでは、男性も女性も胡座をかくことはまずない。それは行儀が良いとか悪いとかという問題ではなくて、たぶん骨格的に胡座をかくことが難しいのだ。
 黒人(ネグロイド)の足腰の骨格というのは、黄色人(モンゴロイド)のそれとは大きく違う。骨盤が前に傾いていて、そのぶん尻がキュッと背中側に突き出て見事にくびれている。そして見惚れてしまうくらい足が長い。世界中の人種を比べても、腰まわりのスタイルの美しさで黒人の右に出る人種は少ないと思う。
 そんな骨格をしているからなのだろう。黒人が胡座をかいているのを僕は見たことがない。床に座るときには足を伸ばして座る。僕がいつも胡座をかいているのを見て、ザンビア人の友人が真似して座ってみたことがあるけれど、ものの3分と続かなかった。

 いやむしろ、胡座をかいて座る文化がないから、足が長いのかもしれない。
 昔、韓国人の友人と焼酎を飲んでいたとき、「なぜ我々の足は短いのか」という話になったことがある。彼の足も、僕に負けじと短かった。
 酒飲みにありがちな思い込みと知ったかぶりの応酬の末に僕らが達した結論は、アジア人は床に座って胡座をかく文化だから、というものだった。西洋人は椅子に座るため、足に負担がかからないから足が伸びるのだ。アジアでは珍しく中国人の足が長いのは、中国には古くから椅子に座る文化があるからだ、と。
 今、あのとき酔っぱらいが早合点した結論に誰かが疑問を投げるとしたら、「黒人は床に座るにもかかわらず、なぜあんなにも足が長いのか」ということかもしれない。すると僕はドヤ顔でうそぶくだろう。「黒人は胡座をかかず、常に足をのびのびした状態にキープしているからだ」、と。
 モシたちが胡座をかいてご飯を食べているのを見て、僕はどこか懐かしさと親しみを覚えながら、黒人の友人たちの足の長さを思い出していた。
 
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