えんじゅ

1日が始まる時刻

スワヒリ時間

 モシとハリジャンに会った次の日、モシの友達のところに一緒にあそびにいこうということになっていた。ダラジャーニ(ストーン・タウン)からダルダル(小さなバス)に乗って北に1時間半ほど行ったところに、その友達は住んでいるという。
 待ち合わせの時刻を決めていなかったので、前夜モシに電話した。
 朝9時頃にダラジャーニのラマディさんのお店で待ち合わせにしよう、と僕が提案すると、モシはそれでは遅すぎるという。

 「4時にはダラジャーニを出たいの。そうすれば向こうでゆっくりして、暗くなる前に帰ってこられるでしょ」

 耳を疑った。4時?何を言ってるのだろう?

 「4時なんて、そんな時間にバス動いてるの?」

 「もちろん動いてるわ」
 
 なんだか、要領を得ない。ザンジバルの人びとはそんなに朝早くから動き出すものなのだろうか・・・。
 たしかに、彼女の友達のところには遊びに行ってみたい。ザンジバルの若い子がどんなふうに生活をしているのか見てみたい。だけどまだ暗い朝4時に宿を出るのは正直言ってつらい。それに朝はジョーズ・コーナーでサリムさんのコーヒーを飲むのを楽しみにしているし・・・。

 「そうか、4時は僕にとってはちょっと早すぎる。朝はゆっくりコーヒー飲みたいし。残念だけど友達のところに行くのはパスさせてもらおうかな」
 
 そう言って断ろうとすると、「何言ってるの」という感じで彼女は言った。

 「早くなんてないでしょう。朝のコーヒーをゆっくり飲んで、それから行けばいいのよ。いったい何杯コーヒーを飲むつもりなの?」

 コーヒーの話が出たとき、ひらめくものがあった。どうも彼女は僕とは違う時刻で生きているらしい・・・。

 「モシ、今何時?」

 僕の時計は、21時過ぎを指していた。

 「今、3時よ」

 と彼女は言った。

 「1日は何時間?」

 「もちろん、24時間」

 なるほど、どうやら同じ1日24時間でも、彼女の時刻は僕の時刻と比べて6時間前後しているらしい。モシが4時に待ち合わせ、と言ったのは、僕の時刻では10時であるらしい。そうするとたしかにゆっくりコーヒーを飲んでから出発できる。
 ザンジバルの時刻の数え方は、世界の標準時刻の数え方とは異なっているようだ。続けてモシに話を聞いてみると、僕らの夜の19時が彼女の1時で、それが1日の始まる時刻であるらしい。そして12時までくると、その次は13時と数えるのではなくて、また1時になる。ややこしいことこの上ない。
 結局、モシとは彼女のいう4時(朝の10時)に待ち合わせることにした。

 電話を切った後、蚊帳の中に入ってしばらくぼんやりと天井を見上げていた。
 考えてみれば、なぜ僕らの0時は真夜中なのだろう。太陽が最も空高くに上がる時間を12時としたのだろうけれど、1日が始まる0時にすでに起きて生活をしている人は少ないだろう。1日が始まる時刻が真夜中で、起きている人が少ない時間帯というのは、なんだかヘンな気がする。
 今まで考えてみたこともなかったけれど、1日の始まりを真夜中にする必要は特にない。どちらかといえば、朝陽が上って人が活動し始める、ちょうど朝6時くらいを0時、つまり1日が始まる時刻とする方が、感覚的にはしっくりくるような気がする・・・。それにそうした方が、ふだん人が待ち合わせなどに使う時刻の数字も小さくてすむ。「15時」の待ち合わせは、「9時」ですむのだ。
 だけど、と続けて考えた。朝陽が上る時刻は季節によって大幅に変わる。だから1日のはじまりを決めた人は、季節によって変化しないものを基準にしようとしたのだろう。それは太陽が南中する時刻だった。その南中時刻を1日が始まる0時ではなくて12時にしたのは、午前中の時刻に午後の時刻よりも大きな数字を使うことを避けたからなのだろうか・・・。
 もしかすると、ザンジバルの人びとが1日に1〜12時を2度繰り返すのも、大きな数字を使うことを避けたいからなのかもしれない。

 僕だったら1日の始まりを朝にするか夜にするか、どの時間帯にするだろう。ほろ酔いの頭の中でそんな宙に浮いたようなことに思いを巡らせているうちにうつらうつらし始め、気がつくと次の日になっていた。
 
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