えんじゅ

あるムスリムの家族

モシ

 モシとハリジャンに出会ったのは、ラマディさんの食堂だった。
 あるとき、いつものように椅子に腰かけてウロディオを注文しようとすると、ラマディさんは忙しそうに立ち回っていた。ちょうどお昼どきだった。注文のタイミングを計っていると、後ろの椅子に座っている2人組の女の子から声をかけられた。ブイブイ(チャードル、黒いヴェール)にすっぽり身を包んだ、ムスリム(イスラム教徒)の女の子たちだった。

 「何を食べたいの?」

 彼女には僕が何を注文していいか迷っているように見えたのかもしれない。
 
 「ウロディオを食べたい。ここではいつもウロディオを食べてるんだ」

 と僕は答えた。すると彼女はスワヒリ語でラマディさんにウロディオを注文してくれた。
 「ありがとう」と僕は言った。それからラマディさんのウロディオはうまいんだよ、となぜかザンジバル人の彼女に向かって力説してしまった。彼女の英語はカタコトだった(もちろん僕の英語もカタコトだ)けど、久しぶりに英語を話せる人に出会って、少し興奮していたのかもしれない。
 ウロディオを食べながら話を聞いてみると、2人は姉妹なのだという。妹の靴を修理するためにストーン・タウンに出てきて、家に帰る前にラマディさんの食堂に立ち寄ったらしい。なんだか仲の良さそうな、かわいらしい姉妹だった。
 食べ終わって、さぁ海の方にでも行ってみようかな、と思っていたら、彼女たちは「今から家に帰るけど、よかったらうちに遊びにこない?」と誘ってくれた。もし僕が20代前半だったら、ここで小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」のメロディが流れ始めたかもしれない。だけど30代の僕が気になったのは、まったく別のことだった。
 彼女が着ているブイブイの足元の裾から、ジーンズがチラッと見えたのだ。
 ジーンズはブイブイにそぐわないように思えた。それはムスリムの衣装から文化的に最も遠いファッションのように思えたのだ。単なる偏見なのだけど、僕はそれが気になってしかたなかった。今どきのムスリムの女の子は、ブイブイの下にジーンズを穿くのか・・・。

サトウキビを削るハリジャン

 おもしろそうなので、彼女たちの家に行ってみることにした。
 ダラダラ(島中を走る小さなバス)の中で、2人は自己紹介をしてくれた。姉のモシは22歳、妹のハリジャンは17歳。モシは教員免許を取るための教育実習中で、ハリジャンはまだ高校生だということだった。
 名前はすぐに覚えてしまった。「モシ」はザンビアのビールの名前だし、「ハリジャン」はヒンドゥー語で「神の子」という意味だ。インドでカースト制度の撤廃を訴えたガンジーは、アンタッチャブル(不可触民)という最下層に属する子どもたちを「ハリジャン」と呼んだ。彼女の名前がそのことに関係しているのかはわからない。そもそもイスラム教徒だから、まったく関係がないかもしれない。もちろん、そんなことは聞けなかった。

 彼女たちの家は、ストーン・タウンから東に向かってダラダラで30分ほどのところ、トゥングーという村にあった。
 家に着くとハリジャンはすぐにブイブイから普段着に着替えた。ブイブイはムスリムのよそ行き服なのだ。鮮やかな空色のヒジャブに着替えたハリジャンは、さっそくサトウキビを削って僕にくれた。これが村のウェルカム・ドリンクらしい。

 「ヒジャブに着替えるのは、家にようこそ、という意味もあるのよ。フィール・アット・ホーム」

 彼女は学校で習ったのだろう、たどたどしい英語で言った。

ハリジャン

 ハリジャンは本当によく笑う子だった。日本でも海外でも、こんなふうにいつも笑顔でいる人というのがときどきいる。その突き抜けた笑顔を見ているだけでなんだか幸せな気分になる。
 「ヒロ、今日本ではどんな服がはやってるの?」と僕の一番苦手分野の質問を鋭く投げかけてきた。「僕はザンビアに住んでいるからわからないなぁ」と苦し紛れに答えて難を逃れた。
 今どきの若い子らしく、目下一番興味があるのはファッションのことらしかった。そんな子が、靴を修理するためにダラジャーニ(地元の人はストーン・タウンをこう呼ぶ)に出かけているのが、なんだか微笑ましかった。

あるムスリムの家族

 モシとハリジャンの家族。お母さんに、長女のモシ、その下に長男のナドゥラ。次女のハリジャン、三女のマニグァ、四女のハビブと続く。マニグァとハビブはまだ小さいので、ヒジャブを身に着けていなかった。唯一男のナドゥラは牛飼いの仕事をしていて、夜遅くにならないと帰ってこないとのことだった。
 スワヒリ語で「お母さん」は「ママ」、「お父さん」は「ババ」、「兄弟」は「カカ」、「姉妹」は「ダダ」と呼ぶことを教えてもらった。
 「ババ」の姿がないので、モシに聞いてみた。

 「ババも仕事から帰ってきてないの?」

 するとモシはママの顔をチラッと見て言った。

 「ババは別々に住んでる。ほとんど会うこともないなぁ」

 悪いことを聞いてしまったな、と思った。

 「晩ご飯一緒に食べるでしょ?泊まっていきなさい」

 空気をとり直すように、ママが言ってくれた。もう陽が傾きかけていた。
 ふつうの旅だったら、もちろん泊めてもらっていろんな話をしたかった。いつもその場の流れに身を任せてきた。だけど青年海外協力隊員の任国外旅行にはいろんな制約があって、泊まる場所もあらかじめ申請しておかないといけない。公人として旅行をしているから当たり前のことだ。万が一のことがあったときのために、やっぱりダラジャーニに帰ることにした。
 翌日また会う約束をして、1人でダラジャーニ行きのダラダラに乗った。ハリジャンがパパイヤを持たせてくれ、家族のみんなが窓の外で手を振ってくれた。

 それにしても、と思う。海外を旅していて驚くのは、出会った人が自分の家族を紹介したがるということだ。インドでも、ネパールでも、ラオスでも、ベトナムでも、モンゴルでも、みんなそうだった。なぜこんなに人と人との距離が近いのだろう・・・。
 帰りのダラダラの中で、僕はちょっと感傷的な気分になっていた。
 すっかり夜の帳が下りていた。バスの窓を開けると、潮気の混じった強い風が顔に吹きつけてきた。バスが揺れるたび、夜空に浮かぶ満天の星々も、風に吹かれてよろめいているように見えた。
 
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