えんじゅ

卒業後

卒業

 グレード12(日本の高校3年)の生徒たちが、卒業の日を迎えた。キリスト教の学校らしく、角帽とアカデミック・ガウンに身を包んだ卒業生たちは、とても凛々しく見えた。
 卒業式は、ザンビアらしい歌やダンスがあり、校長や来賓から卒業生へ贈る言葉があり、とても晴れやかで感動的な式だった。
 僕の学校はセカンダリー・スクールといって、日本でいうと中学校と高校が一緒になったような学校だ。グレード8(日本の中学2年)から入学した生徒たちは、5年間の思い出深い学校生活を終えて、卒業後のそれぞれの道に旅立っていく。

卒業の祈り

 僕は1年間を通して、この卒業生たちを教えることができた。
 最後の3学期は「プレゼンテーション手法」という講義をした。自分で作ったスライドを使って友達の前に立ってプレゼンテーションをする演習形式で、テーマは「卒業後」とした。「夢」とか「目標」ではなくて「卒業後」としたのは、卒業してからの具体的な自分の道を意識してほしかったからだ。僕はプレゼンテーションの技術的な方法論を指導するだけで、内容は一人ひとり自由に、自分の言葉で語ってもらった。
 ところが最後の最後になって、全員のプレゼンテーションが終わらないまま、停電になってしまった。最後の授業だからとても残念だったけれど、コンピュータが使えなくなっても彼らはプレゼンテーションを続けてくれた。
 薄暗い教室の中で、それぞれの「卒業後」を語ってくれた生徒たち。
 ザンビアには医師が足りていないから、医師になりたい、と話してくれたムウェニャ。アフリカを世界にアピールするために、国連で働きたい、と話してくれたメイヤー。先生のように海外を飛び回りたいから、パイロットになりたい、と話してくれたジャネット。大学で誰よりも勉強して、誰にも負けないエンジニアになりたい、と話してくれたテレサ。卒業を目の前に他界したムソンダは、どんな「卒業後」を思い描いていただろう。

卒業証書

 今まで教師をしたことがなかった僕にとっては、自分が教えた卒業生を送り出すのはもちろんはじめてのことだった。壇上で卒業証書を受け取る、喜びと寂しさが入り交じったような教え子たちの表情を見ていると、胸に込み上げてくるものがあった。
 教師には、どこか親にも似た感情を生徒に抱いてしまうところがあると思う。何かを教えるということ。次の世代に伝えるということ。自分の中の何かを生徒たちに残していくという行為が、本質的に親に似た行為だからなのかもしれない。「教え子」という言い方には、きっとそんな教師の感情が滲んでいると思う。

 教え子たちへ、卒業おめでとう。自分の言葉で語ってくれたそれぞれの「卒業後」の道を、自分の足で力強く歩いていけますように。
 
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