えんじゅ

Weeding for peace

Weeding for peace

 毎年8月15日の終戦記念日には、自分がどこで何をしていたのかを憶えておきたいと思う。今年の終戦記念日、僕は田んぼで雑草を抜いていた。つい先日まで一緒に田んぼに入っていた仲間のことを思い出しながら。

 8月6日の広島原爆の日には、様々な国から友人たちが援農に来てくれていた。日本がかつて軍隊を送ったマレーシアから、日本に原爆を投下したアメリカから。激しい内戦を繰り返してきたスペイン、そしてアイルランドから。誰からともなく言い始めた、Weeding for peace!というかけ声の下、僕らは日がな1日雑草を抜き続けた。
 
 農薬も除草剤も散布しない田んぼでは、びっしりと雑草が生える。田んぼの草取りは重労働だ。かがんで水中の草を取り続けると足腰に負担がかかる。腰の痛みと格闘しながら、何時間もかけて1本1本雑草を取る。
 腰が痛くなってふと視線を上げると、無心に草を取り続ける仲間の姿が見える。その姿に励まされて、もう一度腰をかがめる。
 マレーシア人のサイモンはこう言っていた。

 「草取りがこんなにキツいとは思わなかった。僕はもっと有機農家をリスペクトしないといけない。そのことにはじめて気がついた」
 
 アイルランド人のポールはこう言っていた。

 「僕は田んぼの草取りをしながら、これからの人生のことを考えていた。食べる物に向き合い、自分の農場を持ちたいと本気で思うようになったよ」

 それぞれの思いを胸に、黙々と草を取っていた。
 そうしてみんなで同じ作業をやり終えた後には、一体感というか連帯感というか、仲間意識が芽生える。育った環境も現在の生き方も違うにも関わらず。この国籍を越えた仲間意識が平和への第一歩になる。青臭いかもしれないけれど、僕は本気でそう思う。

 69年間日本の平和を支えてきた憲法9条。今年、これまで憲法違反とされてきた集団的自衛権の行使を容認するという、とんでもなく愚かな判断が閣議決定のみでなされた。首相の唱える積極的平和主義とは、武器を持って脅かしてくる相手に積極的に武器で対抗するということに他ならない。
 互いに武器を持って睨み合っている様を平和とは呼ばない。同じ方向を向いて肩を並べて歩む様を平和と呼ぶ。
 田んぼの中から、私たちは平和を希求する。
 
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